眠りの南

正座したまま一時間眠れる、そんな主婦の、読み書きと猫の日々

美しき人たち

 

 

 一年以上もお休みしていましたが、

 今日帰ってまいりました。

 またよろしくお願いいたします。

 しばらくは、眠って見た夢をもとにした、

 短い小説を書きたいと思います。

 

 

 (眠って見た夢を素材に、短い小説)

 紅さした空に浮き出て美人らは

 望のままの未来説きたり 

 

 美しい人たちが、この星に現れるまで、水平線を越しても、越しても、世界は悲しかった。

 お腹が空いている生きものは数えきれなかったし、水を求める生きもののことは考えるのもつらかった。

 体が痛み、心が壊れた。人も、動物も。

 『苦しむために生まれてくるのだ』と書かれた紙が、大量に町はずれに捨てられていた。雨風にさらされて、もう長いこと。

 

 でも、ある日、何の前触れもなく、美しい人たちは現れた。

 顔は見えなかった。全身もよく見えない。ただ、光り輝く金色の人型が何人も、何人も、世界中に、その国の夜明けと共に空から現れた。

 人は皆驚き、慌て、怯え……神なのか、宇宙人なのか、それとも……そして、彼らの行いに感謝し、素早く慣れた。

 

 もう食べるものに困ることはないのだ。美しい人たちは、空中からおいしそうなパンを出してくれる。それはパンだけれど、食べる人の好みによって、口の中で肉にも魚にも、米にもなる。

 動物たちも、殺されて食べられることもない。

 水は、生きものが欲しいと思う場所から湧き出た。

 世界中から病と傷はなくなった。

 争い事もない。

 苦しい思いをして働かなくても、その人にちょうどよい難しさと分量の仕事が用意された。労働は、本当に喜びになったのだ。

 

 美しい人たちが現れて一年後。私は、国の公的機関で事務を執るようになっていた。そして来月、所属部署始まって以来の女性課長となることが決まった。簡単な仕事しかしたことはないけれど。

 

 金曜日、夕方五時に仕事を終えて家路につく。世の中の人全員が。

 私は電車で帰るけれど、駅や電車の中で働く人は誰もいない。美しい人たちが、無人でも困らないようにしてくださった。

 

 きれいな街並みと道路、街路樹。駅へ向かう人たちは、皆楽しそうだ。

 通り沿いのレストランも、ガラス越しに見える店内は、客でいっぱいだ。料理を作る人も、運ぶ人もいないけれど。豪華なディナーと酒が、瞬時にテーブルに現れる。

 

 歩いていると、川があった。会社から駅までの道に川などない。

 こういうことが、よく起こるようになっていた。美しい人たちが現れてから。

 朝、目覚めると、山や、海が、昨日までなかった場所に出現している。

 すぐ隣の家が、二十分も歩かないと着かない所へ移動している。

 でも、別に、何か困ったことがあっても、空に向かって美しい人たちを心の中で呼べば、いつの間にか全て解決している。

 隣の家の子供の笑い声も、すぐに聞こえてくる。家、戻って来たんだなと思うだけだ。

 

 それにしても、川。幅も見渡す限りだし、向こう岸も見えない。橋もない。深そうだ。

 「ここ、これね、こんな風に見えてるけど、ほんとは何もないんだよ。」

 若い男性の声に顔を上げると、スーツ姿の人がこっちを見ている。

 「知ってる。」

私は答える。 

 「でも、本当はどうでも、こんなふうに見えてるんだから、そういう風にしないと。」

 私と、その男性は、いつの間にか、自分の体ぐらいもある木の板を持っていた。それを川に浮かべ、頼りなく手で漕ぎ出す。進まないけれど、でもそのうち駅に着く。

 そうしたら、好きな色の電車に乗る。好きな駅で降りれば、望む通りの道と家がある。 

 「お帰り。」

 初対面だけれど、とても懐かしい大好きな家族に迎えられ、ほっとする。

 

 私たちは、美しい日々を生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真理は遥か

 不思議なことといえば何だろう。

未確認飛行物体?

心霊現象?

異次元の世界に迷い込んだとか、

パラレルワールドから来たとか。

それとも宇宙の仕組み……

宇宙って、たくさんあるらしいし。

 

生命は、どこから来てどこへ行くのか。

死んだらどうなるんだろう?

天国へ行くのか、地獄行きか。

それとも輪廻転生を繰り返すのか。

 

今見てるこの現実は、全部夢だって言う人もいるよ。

あと、映像を見てるだけなんだ、とも。

ほんとの私は、どこにいるんだろう。

 

私が、こういういろんな不思議を吹き飛ばす位、

一番、不思議なのはね。

〈この生命が、私である〉ことだよ。

この生命は、私という意識でここにいる。

私という意識は、他の誰かの体に入ることはできない。

他の誰かの意識を生きることもできない。

この生命は、私の意識と体を担当して、ここにいるしかない。

 

でも、なんで〈私〉担当?

他の誰かじゃダメだったの?

人間以外でもよかったよね。

 

前世の因縁でもって私に生まれたんだというなら、

この生命の前世は、

どうしてそういう因縁を持つに至ったのか。

更に前世の因縁?それ、きりがない。

 

前世も来世もない、

死んだら天国へ……というなら、もっと不思議。

何か理由があるでしょう?

この生命が私として存在しなければならない理由が。

偶然なのかな。

選ぶことはできない。

だとしたら、ひどくない?

 

たとえば、悪魔の意識担当になった生命は嫌だったと思うよ。

そりゃ、神の意識担当の方がいいよ。

神は、悪魔を見て、

自分は神の意識担当で良かった、

悪魔なんて嫌だもの、と思わないのかしら。

 

私が、たった一つ、これが答えかなと思えたものはね。

この意識は、脳の働きによって作り出されたもので、

脳の付録みたいなものということ。

生命として、どこからも来てないし、どこへも行かない。

この脳と一緒に始まって終わる。

まあ、私なんかに正解がわかるわけはない。

でも、生きる上で、

ちょっと気が楽になったり、しないか。

 

真理というものはあると思う。

でも、それを知ったとして、

地球の人類に理解できるとは思えない。

私たちの悲しみや喜び、善悪の基準なんてものとは、

まったく違うところにある何かなんだろうね。

で、これも、私の意識の上の揺らぎみたいな考えなので。

 

本当にわからないことだらけの私たち。

わからないことの隙間に間借りして生きてるようなものなんだね。

 

でも、様々なことに興味を持ち、

あれが不思議だ、これはどうだと言っているところに、

人類の価値や意味もある気がする。

 

真理は遥かに遠い。

今日も、哲学の階段を駆け上がり、

宗教の扉を開け、

科学の空へと手を伸ばす。

 

いつか、誰か、真理のカケラを見つけたら、

時空を超えて発表してください。