眠りの南

正座したまま一時間眠れる、そんな主婦の、読み書きと猫の日々

走り去る夢

 

 (眠って見た夢を素材に、短い小説)

 

 数多ある未来に向かい走り去る

 君の名前に旗を振りたり

 

 

  味方の陣地まで、あと100メートル余り。

 電波の異常か、この二日間味方と連絡がつかない。

 

 「あっちも二人だな、街道からずっと追いてきた奴らだ。」

 隊長が木のコンテナの陰から、左前方のレンガ塀のあたりをうかがう。

 「一刻も早く帰って、このデータを送信しなけりゃならん。よし、お前は撃つことを考えるな、とにかく走れ。」

「え、でも……」

「なんて顔してるんだ、俺の腕を信じろ。とにかく走って陣地に飛び込め。」

 

 隊長に言われるがまま、幾つかあるコンテナの隙間を必死で走る。

 後ろで銃を撃ち合う音が響く。

 速く、もっと速く走らないと、隊長が……

 

 味方の陣地の入り口が近づいてくる。

 「ハル!」

 こちらに気付いた仲間が何人も、腕を大きく回している。

 

 ハル!

 名前を呼ばれ、はっとして顔を上げる。

 「さすがに今回は、夕飯を食べながら寝るほど疲れたか。」

 隊長がスプーンを持ったまま、いつも鋭い目を少しだけ緩めて、テーブルの向こうからこちらを見ている。

 「いえ、寝てなどいません。」

「そうか、お前はタフだものな。走る速さといい、男並だ。」

「光栄です。」

「今まで通り、これからも頼んだぞ。偵察は男女のペアが怪しまれなくていい。」

「はい。」

「それと、髪を少し伸ばせ。」

「髪、ですか?」

自分のショートカットの頭に手をやる。柔らかな髪が手に触る。

「その方が一般人らしいからな。」

「でも、規定では……」

長い髪は禁止のはずだった。

「かまわん、俺が許可する。」

 

  夜、六人部屋の固いベッドに入っても、興奮しているせいか眠気は訪れなかった。疲れているはずなのに。

 諦めて部屋を出て、廊下の先の小さな窓から外を見る。わずかな灯りの中、当番の仲間が裏口の警備にあたっている。

 

 走るのが速い、か。こんなところで役に立つなんてね。

 もうすぐ二十歳なのに、そんなにバタバタ走り回って、って、母さんに怒られていたのがもう三年も前だ。

 私が十歳の時に父さんが死んでから、ずっと二人で頑張ってきたのに、母さん。

 「私が死んだらお前はどうなるんだろう、内戦中のこの国で、財産も、頼れる身内もいないのに。」

 ベッドに寝たままの母さん、最後まで私のことを心配してた。

  結局、隣に住んでいた男のつてで、この軍に入った。

 内戦の続くこの国で、やっぱりそれが……

 

 「ハル。」

 後ろから声をかけられ、振り向くとモカが笑っている。

 この陣地の中で一番親しくしている同僚。女の子らしい、かわいい子。

 「今日は大変だったね。」

「まあ、でも、隊長が一緒だったから。」

「そうなんだよね、そこだけはうらやましい。」

 モカは隊長を敬慕している。

 「ね、隊長の事、何か話して。」

 隊長に片恋をしているモカ

 故郷に奥様のいる隊長。

 かわいそうなモカ

 「少しだけだよ、もう就寝時刻過ぎてるんだから。」

「わかった。」

 そして、私は、一緒に行動をしている時の隊長のことを話す。どれほど勇気と決断力があって、常に冷静に智恵を働かせるかを。

 話しているうちに、私は嬉しくなってくる、自慢している気持ちになる。

 モカが、私をじっと見る。隊長の話を聞く時のモカは、薔薇色の頬をして、じーっと、じーっと私を見る。今、ここにはいない隊長を見ている。

 

 いい香に包まれている。

 何の香だろうと考えている自分は、どうやらテーブルにうつ伏せて眠ってしまっているようだ。

 しまった、今何時だろう。

 顔を上げると、あたりは光と薄いピンクの薔薇に満ちていた。

 庭?きれいに手入れされている。でも、どこだろう?

 椅子から立ち上がると、ふらりと後ろに倒れそうになる。

 「まだ目が覚めてないのか?」

 後ろから支えられ、笑いながら問われる。

 見上げると。

 「隊長!」

 「おい、今更その呼び方は……」

 ……そうだ、内戦は、もう十年以上も前に終わったんだった。

 こちら側の勝利で。

 今は平和で、人の暮らしは豊かで……

 自分の着ているドレスの裾を手に取ってみる。薄い生地を何枚も重ねた蜂蜜色のドレープ。

 そして、肩を越して揺れる巻き髪。

 私は、隊長の奥様。

 「私、夢を見ていたわ。内戦中に、あなたの部下になってるの。足が速くて、あなたに誉められて喜んでるのよ。」

「ああ、そういえば足の速い奴がいたな、男並に。」

「なぜ、こんな夢を見たんでしょう……その方、今もお元気?」

「さあ、確かだいぶ前に結婚したとか聞いたが……」

「そう、あら、サイレン?何かしら?」

 

 サイレンが鳴っている、何で?

 「ハル!」

 肩をつかんで揺さぶられる。

 「ハル!敵だ!」

 その言葉に、ベッドから飛び起きる。

 薄暗い室内から人が走り出て行く。

 着たままでいた戦闘服のベルトを締め直し、ベッド脇に置いてあった銃を手に掴む。

 

 「ハル!隊長がお呼びだ!」

 部屋の入り口で叫ぶ男は、隊長の側近だ。

 「はい!」 

 

 通路を走りながら、さっき、何か夢を見ていたはず、と思う。

 幸せな夢だったような……

 いや、今はそれどころじゃない。

 今は。

 隊長のもとに、速く、速く、この足で。