眠りの南

正座したまま一時間眠れる、そんな主婦の、読み書きと猫の日々

普遍的

中学一年生の時、国語の授業の作文に、

作家になりたい、と書いた。

今は、もうさすがに、いろいろわかってきて、

そんな望みはなくなったけれど。

 

二年生に進級する時、その国語の先生に、

自分へのメッセージをお願いした。

(まだ若い女性の先生で、

優しくて、きれいで大好きだった)

 

自らも文章を書いておられた先生の、

子供相手でも決してごまかさない、

真剣なメッセージの一部。

 

 

 

 

……「書く」ということは、

「自分の救い」のためという次元を、

超えていなければならないのではないか……

「恋すれば人みな詩人」というけれど、

本当の詩というのは、「個人的事情」を超えた、

普遍的な何かがなければいけない。

そのためにいろいろな知識を吸収し、

個人的な書いたことを高めていかねばならない。(小説も同じ)

……自分で感じ、自分で考え、自分の方法で書くということ……

 

 

 

 

こんな風に書いてくださった先生の年齢を、

とっくに過ぎた現在。

自分の救いのために、

個人的事情にまみれたものを書いている自分がいる。

(小説も、詩も、短歌も)

いろいろな知識も吸収できないままに。

 

いつか先生に、

「読んでください。」と、

自信を持って言えるものが書きたいと思っている。

遠い道のりすぎるけれど。