眠りの南

正座したまま一時間眠れる、そんな主婦の、読み書きと猫の日々

青い船

 

 (眠って見た夢を素材に短い小説)

 

 

 

 

 この星は浮くか沈むか青き船

 

 無邪気なるかな果へ向かう身

 

 

 

 

 

 「まだ暗いねえ、お父さん。」

  港へと続く広い一本道を歩きながら、僕はお父さんの右手を握りしめた。

「冬だから、夜の明けるのが遅いんだよ。」

 知ってるよ、と笑おうとした。でも、こんな風にお父さんと話す日が今度はいつ来るかなと思うと泣きそうになる。

 

 この星のいろんなことを調べるために、船は港を出て行く。   国中から選ばれた優秀な人達を乗せて。

 その人達は星中を回って、バラバラになった本や、針金がいっぱい飛び出た箱や、引っ掻くと音を出す丸い円盤を見つけてきた。

 そうして、いろんなことがわかった。

 この星には、大きな島がいくつもあること。

 昔、この国だけじゃなく、たくさんの国があったこと。

 いろんな肌の色をした人達がいて、それぞれ違う言葉をしゃべっていたこと。

 空を、鳥のように飛べる乗り物があったこと。

 

 今朝港を出るのは、この星の一番端っこがどうなっているか、それを調査する十一回目の船。それに僕は選ばれて乗るんだ。他の大人の人達や、僕みたいな子供と一緒に。

 『僕はまだ十歳なのに、船に乗るのはなあぜ?』

 僕が聞くと、お父さんは、

『それは、お前が賢い子だからだよ。』

と言うんだ。

『学校でも、いつも一番に勉強ができたからね。走るのも早かったろう、お友達にも優しくしてあげていたって、先生もいつもほめていたよ。』

『僕、もっと勉強がしたいんだ。それに、病気のお母さんが良くなって、病院から退院してくるのを家で待ちたいよ。』

『勉強は船の中で大人の人に教えてもらえるんだよ。それにお母さんはどこにいたって、お前の幸せだけを祈っているからね。』

『でも……』

『船の中には子供が何人もいるそうだ。友達がいっぱいできるぞ。』 

 船の乗組員に選ばれるのは名誉なことだしねって、僕もそう思うけど。

 

 空が薄いオレンジ色から、濃いオレンジ色になって行く。

 港に停まっている大きな青い船が見えてきた。あれが僕の乗って行く船。そして、ここへ帰って来る船。

 船のそばに、もうたくさんの人が集まっている。

 僕は少しだけ元気が出てきた。 

  「お父さん、僕、珍しい物をいっぱい持って帰ってくるね!」

そう言って見上げると、お父さんの目が真っ赤だった。

「どうしたの!?お父さん!」

「……お前が泣くんじゃないかって、父さんや母さんと離れて寂しくて泣くんじゃないかって、そう思っただけだよ。」

 僕の目の中に涙があふれてくる。

 

 「この船に乗られるのですよね。」

 突然女の人の声がして、僕は振り向きざま大きな涙の粒を落としてしまった。

 見ると、コートを着た若い女の人と、その人に手を引かれた僕より少し年上らしい女の子が立っている。

 「ほら、言ったでしょう、お友達が次々到着するって。」

女の人は言いながら、女の子の頭に手を乗せた。

「では、その子も、うちの息子のように……」

「はい、他にも十三名の子供たちと参ります。私は、この子たちの世話係のうちの一人です。」

  女の人は、僕に右手を差し出した。

 僕は少し恥ずかしかったけれど、ちゃんと握手ができた。

「私が聞いていたよりも、子供の数が増えているようだが……」

「はい、急でしたけれど、人数を増やしました。」

 お父さんが女の人と話をしている間、僕は女の子と何度か目が合った。笑いかけようかと思ったけど、うまくいかない。

 でも、きっと仲良くなれるよね。

  

  船は港を出て、西へ西へと向かう。西へ行くしかない。なぜなら、これまで東や北や南の端を目指した船は、必ずひどい嵐にあって、乗組員の半分以上が犠牲になっていたから。

 西へ向かう船だけはいつも無事だった。ここまでは、僕もお父さんに聞いていた。ただ、西の端がどうなっているかは、なぜか誰もはっきりしたことを知らないのだった。この船に乗っても、やっぱり教えてもらえない。

 先に知ってしまうと 楽しみが減るからさ!子供たちの中には、そんなふうに言う子もいた。そうなんだろうか?不安に思うのは、僕が弱虫だから?

 

 星の端っこって、どんなだろう?

 陸があって、珍しい動物がいるんだろうか。それとも、単に海があって、行き止まりの壁みたいなものがあるんだろうか?

 星の端っこの記念に、何か持って帰れるものはあるかな。お父さんと、お母さんのおみやげに。 

 

  船が出発してから半年以上が過ぎた、風のない静かな夜だった。

  船長が、窓のない部屋に子供ばかりを集めて、

「明日の朝、この星の西の端に着く。」

と言った。

 ざわざわする子供達を静かにさせ、船長は続ける。

「なぜ君達をこの航海に連れて来たのかを、話しておかなければならない。」

  船長は 、毎年のようにこの海域に来ているのだと言った。

「一番端っこって、どうなってるんですか ?」

一人の子供が尋ねる。

「それは、わからないんだよ。」

船長が静かに言う。

 え、だって、船長は毎年来てるんじゃ……

「いつも気がつくと、帰りの船を走らせているんだ、私達が出発したあの港へと。確かに西の端に着いたはずなんだよ、だが覚えているのはそれだけだ。何度来てもね。」    僕たちは意味がわからず、ぽかんとしていた。

「私だけじゃない、他の乗組員もだ。ただ一人を除いて……四回目の航海に乗っていた一人の子供を除いて。」

  子供……

「その子は、まだ十歳にも満たない女の子だった。その航海の乗組員の子供で、母親を亡くしたばかりだった。父親からしか食事を摂らなくなっていて、それで、特例で乗船を許可された。もちろん危険を考えて、一切甲板には出さなかったが。あの朝、西の端についた朝、いつのまにか甲板に出て来ていたんだ。」

「その子は、西の端で何を見たんですか!?」

「それは答えられない。君たちは子供で影響を受けやすい。その子に引きずられて、同じものを見たと思い込むとも限らないしね。」

  僕はどんどん怖くなってきた。

 「さあ、皆、そんな泣きそうな顔をしないんだよ、大丈夫。これまで西の端に行って、無事に帰れなかった者はいないんだからね。ただ、これで、この航海へ君達に来てもらったのがなぜなのか、わかってもらえたね。これまで運行した調査船十回とも大人ではだめだった。何を見ても覚えていられない。君たちの記憶が頼りなんだ。」

  僕達は、船長に少し眠るように言われた。でも、子供達のおしゃべりは、期待と怯えを膨らませて、止むことはなかった。

 

  時計が朝の来たことを知らせる。朝が来れば迎えに来ると言った船長は来ない。

 一人の男の子がドアを開け、皆で階段を上る。

 甲板に出た僕等が見たものは、たくさんの雲らしきものだった。どこを見ても真っ白でフワフワした雲に、海も、空も覆い尽くされている。

 「 なんだ、端っこにあるのって、雲だけじゃないか!」 

 がっかりして騒ぎ出す僕達。

 でも、僕はほっとしていた。何か怖いものを見るんじゃないかとドキドキしてたから。

 それに、これで、おとうさんとお母さんの所に帰れる。

 

  その時、右目の端で雲が動いた。

 そっちを見ると、雲がどんどん左右に分かれて行く。

  何?何が!?

 雲の中から現れたのは…… 

 

  僕の何十倍もあるような、僕の、顔。

  何、鏡?大きく映る鏡?

 でもなんで、鏡がこんな所に?

 固まって動けない僕をじっと見る僕の目。

 その時、大きな僕の顔がグシャッと歪んだ。

  笑ったんだと思う。

 あとは、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出せない

 (眠って見た夢を素材に短い小説)

 

 

 

 

 深まりし秋に憩える円卓に

 見ている時のみ美しい花

 

 

 

 

 薄いピンクの可憐な花束と、小さいけれど澄んだ輝きを放つ石のついた指輪。

 この二つを恋人から受け取り、千花は来年の春、花嫁になることとなった。

 婚約祝いのパーティは、千花の友人達が用意した。

 貸し切りの小さなレストランの大きな窓からは、秋の午後の日差しが注いでいる。

 丸いテーブルを二つ並べた周りに千花の幼なじみが二人、学生時代の友人達が四人、会社の友人が二人、席についている。これまでにも一緒に出かけたりなどして、それぞれ顔見知りになっている女性達は華やかに笑いさざめき、千花を中心に話はつきなかった。

 「ごめんね、あと少しだけ待ってね。」

 婚約者が車の渋滞に巻き込まれて約束の時間に遅れていることを、何度か千花は謝っている。

 いいのよ、と今度も皆が返した時に、レストランの木の扉は開き、千花の婚約者が現れた。

 ここにいる千花の友人たちは、この婚約者も見知っていて拍手でもって迎えられた。

  千花は拍手をしなかった。微笑みもしなかった。

 まじまじと、愛しいはずの婚約者の顔を見て立ちつくしていた。

  「遅れてすみません。」

と、周りに頭を下げながら、千花に向かって、ごめん、と合図する婚約者。

 反射的に笑い返した千花の頭の中は、それどころではなくなっていた。

 

 大変なことを思い出した。

 いや、違う。思い出そうとしている。 

 私は、彼と婚約してはだめではないか、なぜって私には他に大事な人がいるのだから。

 

 「おめでとう。」

  友人達から渡される花束、カード、プレゼントのリボン。

 「ありがとう。」

 それらを婚約者と受け取る私、と、千花は自分のことを遠くから見ている気がした。

 

 私には、誰よりも愛する人がいる。

 大事な恋。なのに、その人がいったい誰で、どういう関係なのか思 い出せない。

 何もかも、霧の中に紛れたように定かでない。

 

 「ケーキでーす。」

はしゃいだ声で友人達が、ワゴンを押して来る。テーブルの上に乗せられた四角いケーキの上には、お菓子でできた白い壁に赤い屋根の家が建ち、その前にはタキシードとウエディングドレス姿の人形が寄り添っている。

 「私達で作りました。」

 婚約者から、

「すごい、上手だね。」

と声をかけられ、

「ほんと。」

上ずった声を出すのがやっとの千花だった。

 

 最初からよく知らない人だったのだろうか、そんなはずはない。

 何かないだろうか、手ががりが。

 写真、日記、友人達に聞いてみようか。

 ノート、手紙、何か、何かあるはず。

 焦り、切ない、苦しい……この身がバラバラになりそうな程。

 

 その大事な人と、ずっと一緒にいればよかった。

 ……いや、私の片思いだったのだろうか、もう一度会い たいと思っても、探し出す術もない程の間柄の…… どれ程後悔しても遅い……事実があまりにも儚いことばかりだから何も思い出せない、そうなのだろうか。

 

 「千花、どうかした?」

 皆が心配そうに自分を見ていることに、千花は気付いた。

 「……なんだか、緊張してきちゃって……」

 かすれる声で、千花はそれだけ言った。

 

 どうしよう、もうその人に会えない、取り返しがつかない。

 でも、本当に?

 

「それじゃ、本当の結婚式の時困るよ。」

 皆の声に、千花はもう何も返すことができなかった。

 

 「今日は調子が悪かったみたいだね。」

 パーティーが終わり、婚約者に車で送られながら千花は黙りこくっていた。

 もちろん、それはうわべだけのことで、頭の中は大事なことを思い出せない苛立ちに、誰へとも知れず、なぜ、なぜ、と繰り返していた。

 「酒が飲めない男っていうのもいいだろ。酒の席の後にも車が運転できる。」

 千花も酒が飲めない。そういうところも、お互い気に入っていたのだが。

 だが、今はそれどころではない。結婚へと続くこの流れを止めなければ。

 「……私、私ね、話があるの、どこかで車を停めてくれる。」

 思いつめた声だと、自分のことながら千花は思った。

 婚約者は公園の脇に車を停め、 何事かと千花の言葉を待っている。

 「私、あなたに謝らなくちゃ、いいえ、わざとじゃなかったの、だって自分でも今日気が付いて……」

「何、ちょっと落ち着いて、何に気が付いたって?」

 婚約者は、興奮気味の千花に驚いている。

「私には大事な人がいたの、忘れていたの、どういうわけか。」

「え、それって誰のこと?」

「わからないわ、どこの誰かもわからない、名前も、顔すら思い出せないの。」

「……それ、夢の話?」

「夢じゃないわ、ちゃんと起きてる時に気が付いたんだから。」

  婚約者はしばらく何か考え、やがて静かに話し始めた。  

「……僕は寝てる時に気が付いたよ。」

「え。」

「この前、夢で見たんだ。自分には、その、千花の他に結婚するべき人がいたんだった、忘れてたって。」

「……」

「起きてから考えてみても、全く心当たりがない。でも、夢の中では苦しかったんだ、すごく。」

 「私も、今、すごく苦しい。」

「ずっと気になってて、それで、二、三日前わかったんだよ……犬だった。」

「え、犬?」

「そう、犬が好きで、子どもの頃からずっと飼いたかった。けど、 小学校から高校まで野球をやってて忙しくて。親は、自分で面倒みられないなら飼わないって言うし。大学からは一人暮らしだったしね。」

「……」

「ずっと忘れてたんだ、犬を飼いたいって思ってたこと。犬だけじゃない、独身のうちに友達と野球チームを作りたいとか、あと、すぐには思い出せないけど、いろいろ。千花は、そういうこと何かない?」

「……私、ピアノをどうしようって思ってた。高校生の時習うのをやめちゃって、でも、もう一度始めたいって。それと、会社を結婚退社していいのかなって。独身の子が少し羨ましくなったり。婚約して、すごく幸せなのに。」

「そういうことなんじゃないのかな。」

  千花は、だんだん落ち着いてきた。あの苦しさや焦りがおさまってきている。

 冷静に考えてみれば、この身がバラバラになりそうな程の恋を、うっかり忘れていたりするだろうか。

 「千花、お互い大切なこと、全部持って結婚しよう。叶えられることがあれば一個ずつ叶えて行こう。」

 

 千花は、その後も、時折この日のことを思い出すことがあった。

 そして、その度、婚約パーティーの高揚と、結婚に対する緊張で心が疲れていたのだ、だから、ありえないことを考えたりしたのだということで納得していた。

 

  結婚して一年後に、千花は、女の子の母親になった。

 その子が五歳を過ぎる頃、広い庭のある家が建った 。色とりどりの花に囲まれた、真っ白な壁の、赤い屋根の家。あの婚約パーティで友人達が作ってくれたケーキの上のお菓子の家、そのままのような家だった。

 

 秋の晴れた暖かい日、友人が二人、新居祝いに訪れた。

 婚約パーティーにも、結婚式にもお互いに呼び合った友人達だ。

 二人とも自分たちが家を建てる時の参考にしたいと張り切っている。

 芝生の庭へ続くテラスに、小さな丸いテーブルと椅子を出し、お茶と手作りのアップルパイを並べている千花のそばへ友人の一人がやってきて話しかける。

 「本当に素敵なお家、千花は幸せねえ。」

「ありがとう……」

照れながらそう返す千花の耳元へ顔を近づけ、友人は笑ったような、ため息のような声音で言った。

「あの頃ずいぶん迷ってたけど、旦那様を選んで正解だったわね。」

 

  娘が千花を呼ぶ声がする。けれど、すっかり硬くなった千花の耳に、声はただ、ぶつかって落ちて行くだけだった。