眠りの南

正座したまま一時間眠れる、そんな主婦の、読み書きと猫の日々

私の放棄

 

 私は、小説や映画のジャンルとして、恋愛ものには、

 なぜかあまり興味がありません。

 自分が書くものでも、恋愛だけのことを書くとしたら、

 時々、短歌を詠むぐらいですね。

 ただ、今回は珍しく、

 その短歌から詩にもなったので載せますね。

 

 

 詩のもとになった短歌はこちらです。

 “じんじんと手足の先に伝わるはもれた悲しみ恋が破れて”

 

 

どうやら胸が破れたらしくて

もれた悲しみが

手足の先まで

じんじんと伝わって行く

今日であなたを全部失うのね

とうとうその日が来たのね

最後はどんな私を

あなたに見せましょう

少し考えてもいいかしら

私の為にはもう一分だって

惜しそうなあなた

 

あの日

手のかかる人だねって

微笑われて

嬉しかったなんて

隠していたけれど

ばれていたでしょ

小さな女の子でもないのに

微笑いながら

軽蔑されていたかしら

少しでも愛しいと思ってはくれなかったの

だってそれが本当の私なのに

 

二十センチも上から

視線を注がれて

頬が薔薇色になって

散ってしまいそうだった

みっともなかったかしら

だって仕方がないでしょう

あなたよりきれいな景色が

私には無くなってしまったって

震えていたのよ

 

私が小さな女の子なら良かった

あなたの腕の上にふわり座って

「寒い」って言ったなら

悲しいことからいつも守ってもらえるのに

 

こうしましょう

私は世界の摂理を壊す

私は私を放棄して

小さな女の子になるの

そしたらあなたは私の手を引いて

ここを後にするのよ

一分あれば叶うことなの

世界は崩したままでいいわ

一分あれば叶うことなのよ

 

 

 

 

 

 

 

今年がもう始まってる、ので抱負など

一月も五日になってしまいました。

遅くなりすぎましたが、

皆様、今年もよろしくお願いいたします。

 

年越しからこっち、なぜか時間が取れず、

ブログが更新できませんでした。

大掃除も、おせち作りも、早々に諦めていたのに、なぜ?

(その前に、なぜそう簡単に諦める?)

 

お正月は、もう一つのブログで短歌など詠んでおりました。

それぐらいの短いものなら、なんとか更新できたので。

それにしても、めでたいはずの正月に、真っ暗な短歌……

 

年越し、正月、成人の日、一月。

あんまり好きじゃないので。

というか嫌いなので、

気分が優れないので。

 

ああ、また暗いことを言い始めて……

こんなことではなく、今年の抱負ですよ、前向きな気持ちですね。

 

まず、このブログの自分のアイコンを決める。(え、それ?)

迷ってるんです。

二か月近くも。

さっと決めて、後でまた変えてもいいし、と思うのですが、

こういう些細なことを、しつこく考えてしまうのです。

そして、重要な決断は、あまり迷いませんし、考えません。

なぜでしょう。ふつう、反対だと思うんですが。

重要なことを考えだすと、脳が停止。

もしくは、逃走して行方不明。

あるいは、他の楽しいことを考えだす。

これだよー、このことについて真剣に考えるんだよー

呼びかけ虚しく。

結果、当然、上手く行かなかった、終わり。

偶然、良かったことも、ごくたまにあり。

 

そうだ、今年の抱負は、

考えるべきことを、ちゃんと考え、

しかも行動に移す。

これにします。

 

考えるだけ考えてね、

準備だって、ちゃんとしてね、

行動しないこともあるんだ、

ワクワクして、ドキドキしてたのに。

変な人だよ、自分。

 

たぶん、考えて、想像して、

幸せを感じたり、不幸を味わったり、

一通り終わって。

現実に、その時を生きたみたいな気持ちになるのかな、自分の中で。

一種の仮想現実とでもいうか……

……だから、そういうところも改めて。

 

今年は、“適切”に生きる。

よし!短くまとまった。

 

いろんなことに対して、

適切な思考と行動。

適切な毎日と未来。

苦しくはない程度に。

 

適切じゃなかった過去は、

きれいな布でくるんで、

ソファにするね。

(一応、大事に思ってるし)

 

さあ、いろいろできるかな。